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2023.06.06メディア出演・掲載など

呉服商の夢転じて薬にかける

店主の母が自宅を整理していたら、あまりにも懐かしい記事が出てたと言って見せてくれました。

すでに廃刊となって久しい、地域の情報誌「フレンズ」に掲載された、サント薬局創始者、山浦計介の紹介記事です。

貴重なので、記録用に全文を引用して記載しておきます。

この人訪問
第253号 横浜緑区中央版 フレンズ 昭和60年(1985年)12月7日(土)

呉服商の夢転じて薬にかける

山浦計介さん(クスリのサント店主・田奈)

「女房のお蔭で大学も卒業できたし、ヒモ同然の暮らしもしたので頭があがらない」と笑いながら横の奥さんを優しく見つめる、山浦計介さん(47才)。

博多の生まれで六人兄姉の末っ子。中国大陸を股にかけ、手広く呉服商を営む家に育った。幼い時から父を見て「大きくなったら呉服屋になるんだ」と心に決めていた。疎開先の都城の中学を出て、京都の呉服屋に奉公に行きたいと言ったら、親兄姉は猛反対。「高校ぐらいは行きなさい」と言われて仕方なくラ・サール高校へ。有名な進学校である。

「勉強が嫌いで、早く呉服屋になりたくて仕方なかった。しかし今度は皆で大学へも行けと言うのです。反抗して家出したら兄に叱られましてね。殴られましたよ」又、仕方なく薬大ヘ。「母が病弱だったので、薬を作ってやれたら」と思ったのがせめてもの動機だった。

その大学で素晴らしい出会いがあった。四年の時、研究室の助手をしていた一年先輩の優しい女性に心魅かれた。冨美子夫人との出会いである。「試験の時はすっかり世話になっちゃって…」と冒頭の台詞に。

めでたく卒業でき、製薬会社のプロパーとして働くが、「課長と大喧嘩して二年で辞めてしまった」そして数か月、冨美子さんに食べさせてもらう”ヒモ暮らし”となる。

「朝、二百円もらうんですよ。三本百円ていう映画見て、たばこ買ってコーヒー飲んで時間を潰した。何もする事が無いというのは辛かった」

そして再就職、やっとヒモの生活から逃れ、七年。やがてどうしても自分で商売がしたいと、十七年の東京暮らしにピリオドを打って故郷の九州へ。講師、助教授の道も開きかけた冨美子さんもさらりと仕事を棄てて夫に従った。

「ワイフは私に惚れていたので、すぐ辞めましたよ」とおのろけも。三十二歳で宮崎に鍼治療と漢方調剤の薬店を開局した。

「病弱な母がその頃直腸ガンに侵され、手術して人工肛門をつけていたんです。それが爛れて傷口がふさがらず、かわいそうで、妻と二人であらゆる軟膏を作って試しました。いい勉強でした」医者から見放されてあと一ヶ月といわれたお母さんに、美味しく物を食べてもらいたいと食欲のでる漢方薬もいろいろ調剤した。そして三ヶ月後、見違えるほど太って、歩けるようにもなった。

結婚八年目に恵まれた一人息子をお母さんに抱かせることもできた。一ヶ月の命といわれてから二年後、父、母と相ついで亡くし、故郷を後に再び上京、「本気で薬局をやるには九州では遅れてしまうのです」

昭和四十九年(1974年)、田奈に開局、続いて駅前にも進出した。「学生時代は勉強しなかったけれど、開局してからは毎日が勉強です。今取り組んでいるのは慢性病の疾患を漢方剤中心に治療すること。そして毛髪です。毛髪は皮膚の一部ですが、異常があっても命に関わらないため、医者も本気で取り組んでくれない。男性の脱毛、女性の髪の傷みなどを顕微鏡やTVモニターを使って視覚に訴え、わかりやすく理解してもらおうと努めています。好きで入った道ではなかったけれど、今では最高の仕事と思っています。親に感謝、ですね」

典型的なAB型タイプと自認「人づきあいが下手で、執着心が強く、深くつっ込む性格。女房が私の欠点の全てをカバーしてくれてます。世界一のワイフだと思ってます」

これからの十年が人生で一番いい時、頑張ります、と最後は爽やかに、仕事にかける男のロマンを語ってくれた。

おかげさまで2023年6月6日現在、父計介は85才、母冨美子は86才でふたりとも元気にしています。

 

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